おはようございます、こんにちは、こんばんは、「ダサくったっていいじゃない?」管理人のGURUKEN(ぐるけん)です。
ついこの間の話です。
地元で同じ学校に通っていた、同級生が事件に巻き込まれてなくなっていたと聞きました。
ぐるけんは、現在20代前半ですが、今まで同級生がなくなった経験がありませんでした。
よく、バイク事故などで早いうちに同級生が亡くなってしまったなどという話を聞いたことはありましたが、実際にぐるけんの周りでは起こったことなかったです。
そんなこともあってか、ぐるけんは「人の死」に対する免疫があまりなかったのかもしれません。
正直、事件に巻きこまれた同級生は仲が良かったわけでもなければ、話したことも無かったと思います。
しかし、その同級生が事件に巻きこまれて亡くなったと聞いた時は、大きな衝撃を受けました。
思えば、ぐるけんは身近な友達や知り合いはおろか、身内の死すらほとんど体験したことがありません。
身内でいえば、ぐるけんが生まれてから亡くなったのは「ひいおじいちゃん」だけです。
相当小さい頃で、顔もハッキリと思い出せないですが、それでも小さい時なりにかなりの衝撃で泣いたことだけは覚えています。
ありがたいことに、未だ90歳を超えるひいおばあちゃんまで元気なので、ぐるけんの一家はかなり長寿な家系なのかもしれません。(親戚も皆さん元気です)
そんな中、20代そこそこにして初めて直面した「顔の知っている人」の死。
少し前のことだったようですが、普通にニュースにもなっているような事件に巻き込まれて亡くなっていたようです。
ぐるけんもニュース自体は何となく覚えていました。
そして今になって、色々な感情が渦巻いてきます。
初めて向き合う、「同級生の死」。
そして普段あまり気にも留めていないニュースでやっているような事件に、同級生が巻き込まれていた事実。
人が亡くなるということは、これほど多くの人に色々な感情を抱かせるのかと...
恐らく、亡くなった本人はぐるけんのことをほとんど覚えていなければ、まさかぐるけんが大きな衝撃を受けているとは思ってもないと思います。
ぐるけんも適当にニュースで被害者の名前を見ただけでは、思い出せないぐらいで、亡くなった同級生のことはほとんど覚えていませんでした。(名前もよくいそうな名前の方だったので)
それでもここまで「衝撃」を受けるのかと...
冗談でも「死」という言葉は簡単に使うべきではない。
またよく耳にする「今日は誰かが死ぬほど生きたかった明日」という言葉が、妙にリアルに感じられます。
今までも頭では十分に理解出来ていた言葉だけども、何となく理解が深まった気がしました。
そして、ニュースでやっているような事件なども、他人事ではないんだなと改めて感じました。
今までも、「いつどこで何があるかわからない」とは思っていましたが、それをより強く感じました。
自分もいつどうなるかなんて、本当に分からないことなんだなと...
だからこそ、やっぱり常に一生懸命に生きていかないとダメなんだと...
恐らく、人は死ぬ時に全く後悔することがない人はほとんどいないと思います。
誰しもそうですが、「今を生きるということは、先ほどより確実に死に近づいている」ということなんだなと思います。
何となく、「生きていく」ということのヒントを得たような気がします。
これからは自分にはまだ時間があるとは思わず、常にやりたいことを全力でやっていこうと思います。
そして、今も確実に近づいているであろう死。
これからは自分が最期を迎える時に、感じる後悔を少しでも少なくしていくような、生き方をしようと強く思います。
決して仲の良かった同級生ではありませんでしたが、今回の「同級生の死」はぐるけんに色々なことを気づかせてくれました。
この先人生を歩んでいけば、これから身内やもっと親しい人達との死と向き合わなければいけない日もくるでしょう。
そういう時のためにも、もっと強くなるしかありません。
そして、こういう突然の衝撃的な出来事が起きても、「自分は常に全力で生きている」と胸を張って「死」を受け入れていけるような人間になりたいと思います。
今回の気持ちを大切に、今更ながら同級生にはご冥福をお祈り申し上げたいと思います。